| 美濃焼の歴史 |
| 岐阜県の東南部には美濃焼のふるさとがあります。美濃地方は豊富な陶土に 恵まれて一大陶業地として発展してきました。長い歴史の中で美濃焼が大発展 を遂げたのは桃山時代です。また、鎌倉時代には日本各地に、瀬戸、常滑、越前 信楽、丹波、備前のいわゆる六古窯が築かれました。室町時代には東山文化が 花開き、特に茶の湯の発展によって茶陶という新分野が登場し飛躍への足がかり が準備されていました。しかも美濃焼にとって幸いなことに、戦国時代に瀬戸から 多くの陶人たちが戦乱を避けてなだれ込み、美濃の良質な陶土を得て意欲的な 仕事を開始したのです。これに拍車をかけたのが茶の湯を愛好し、瀬戸及び美濃 の陶業を保護奨励した織田信長や豊臣秀吉たちの武将であります。天下の統一 が果たされ、世が平安を取り戻した桃山時代、千利休、古田織部ら文化的指導者 が出現し、ここに志野、織部、黄瀬戸が誕生しました。以来、その技法は現代にも 受け継がれ加藤唐九朗や荒川豊蔵などの人間国宝をはじめとし、多くの陶工達に にも受け継がれ、今や多くの窯で焼かれています。そうした古い歴史の中で次第に 量産を目的とした工業化も進み今では国内では生産量日本一となっています。 |
| 美濃焼の洋食器の歴史 |
| 一時幕末の騒乱期には各地の製陶業は衰退したものの、その後の明治維新を経て 近代化されて行きました。そして、1870年ドイツ人のG・ワーグナーが工業製品として のヨーロッパの技術を伝えると、日本からもヨーロッパへ多くの技術者が渡り、製陶 技術を学び日本にも近代セラミック技術が持ち帰られるようになりました。それを機会 に陶磁器製品は貿易品として海外へ多く輸出されるようになりました。そして美濃焼は 主にアメリカ、ヨーロッパ向けのディナー食器と、国内はホテル、レストラン向けの ホテルウェアの生産で発展してきました。本当の洋食器の生産地です。 |
| 陶磁器の出来るまで |
| 陶磁器はそのほとんどが土で出来ています。13世紀頃までは釉薬のない陶器が ほとんどでしたが、中国の宋で学び伝えられた釉薬技術により現代の陶磁器の元 が出来ました。そして有田を皮切りに瀬戸、美濃、京都の3地域が全国の生産の中心 的存在になっていきました。美濃は生産量では日本一の地域として発展してきました。 土は陶土という陶磁器用の土を使います。土練機で土を練り、円形状のものはロクロ 成型で作り、変形したものは鋳込み成型で作られます。そのいずれにも石膏型という ものが必要です。その型がすなわち完成品の形状そのものです。1度出来上がった ものは、約700度℃で素焼きされます。あとで釉薬をよく吸収するためです。そして釉薬 を施し今度は1300℃で窯で本焼成します。この釉薬の色が陶器自体の色になります。 作る工程や、さまざまな仕上げの細かい部分は人間の手が必ず必要となってきます。 土と火と人間の手がどの生産工程でも今も多く使われています。とても感覚を大切に する仕事です。 ここまでの工程で【ティーポット】の白い陶器は完成です。専門的には白生地と言いま すが、判りづらいので白い陶器としました。食器として充分に使用可能です。次はご注 文を頂いてからの絵付けのご説明です。 絵付けの事を専門的には上絵付けと言います。洋食器の絵柄付きのものはほとんど がこの方法で絵付けされます。(転写紙)というものを使い1枚づつ手作業で白生地に 貼り付けます。そして780℃程度で窯で焼きます。すると絵の具や金が溶けて鮮やか な絵柄が焼付けられます。この作業はほとんど人間の手によって行われ、機械では 出来ません。金のラインとか絵の具線は筆で1本1本引かれていきます。こうした沢山 の工程や人の手によって陶磁器は完成します。そういった目で見ると1つのカップや お皿にも愛着が生まれます。 |
| 洋食器ショップ【ティーポット】の提案 |
| この絵柄付きの完成品が本来の洋食器です。テーブルに置いただけでも美しく、その 場の雰囲気を盛り立てます。見て楽しくまた使って楽しい洋食器を是非お気軽に普段 の生活に取り入れて下さい。洋食器という型にはまることなく、色々なお料理にもあう ことを実感して頂けることと思います。洋食器ショップ【ティーポット】は提案します。 素敵な洋食器で楽しい毎日を!食卓をもっと楽しく素敵に! |
